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札幌地方裁判所 昭和51年(ワ)3010号 判決

原告 若槻みさ

〈ほか四名〉

原告ら訴訟代理人弁護士 下坂浩介

被告 北海道

右代表者知事 堂垣内尚弘

右訴訟代理人弁護士 岩澤誠

右訴訟復代理人弁護士 水原清之

同 高田照市

右指定代理人 川島繁

〈ほか三名〉

被告 小玉義悦

同 野澤義正

右両名訴訟代理人弁護士 猪股貞雄

被告 富士火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役 渡辺勇

右訴訟代理人弁護士 山根喬

同 太田三夫

被告 日本火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役 右近保太郎

右訴訟代理人弁護士 能登要

主文

1  被告野澤義正は、原告若槻みさに対し金一四六万二五一三円及びこれに対する昭和五一年二月一日から右完済まで年五分の割合による金員を、その余の原告ら各自に対し金六三万一二五六円及びこれに対する昭和五一年二月一日から右完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告富士火災海上保険株式会社は、原告若槻みさに対し金一四六万二五一三円、その余の原告ら各自に対し金六三万一二五六円を支払え。

3  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

4  訴訟費用は原告らと被告野澤義正及び同富士火災海上保険株式会社との間では右被告両名の負担とし、原告らとその余の被告らとの間では原告らの負担とする。

5  この判決は主文第1、2項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告北海道は、原告若槻みさ(以下原告若槻みさをという)に対し金一六六万六六六六円に対する昭和四六年一二月一日から右完済に至るまで年五分の割合による金員及び金一〇〇万円を、その余の原告ら各自に対し金八三万三三三三円に対する昭和四六年一二月一日から右完済に至るまで年五分の割合による金員及び金二五万円を支払え。

2  被告野澤義正及び同小玉義悦は連帯して原告若槻みさをに対し金七一八万五五三〇円及びこれに対する昭和五一年二月一日から右完済まで年五分の割合による金員を、その余の原告ら各自に対し金二五九万二七八一円及びこれに対する昭和五一年一二月一日から右完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  被告富士火災海上保険株式会社は、被告小玉義悦及び同野澤義正と連帯して、原告若槻みさをに対し金一六六万六六六六円を、その余の原告ら各自に対し金八三万三三三三円を支払え。

4  被告日本火災海上保険株式会社は、被告小玉義悦及び同野澤義正と連帯して、原告若槻みさをに対し金一六六万六六六六円を、その余の原告ら各自に対し金八三万三三三三円を支払え。

5  訴訟費用は被告らの負担とする。

6  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

(請求原因)

一  本件事故の発生

訴外若槻数馬は昭和四六年一〇月一六日午後二時二〇分ころ沙流郡門別町旭町五番地先付近の国道二三五号線道路上を静内方面から苫小牧方面へ向けて原動機付自転車(静内い・四八〇号)を運転して走行していた際、被告小玉義悦運転の大型貨物自動車(室一ゆ・三四九八号・大型ダンプトラック)が苫小牧方面から静内方面へ向け追越のためセンターラインを越えて時速約七〇ないし八〇キロメートルの速度で進行してきたため、急制動措置を講じてすれ違ったが、右の大型ダンプトラックが完全に自車線に戻りきらないうちに接近してすれ違ったため、その進行に伴う風圧、黒煙及び爆音等の影響を受けて安定を失い、その場に転倒して頭部に打撲を受け、このため頭蓋底骨折による急性心停止により即死した。

二  被告らの責任

1 被告小玉義悦は、本件事故の際、自己の運転する車両が最大積載量ハトン、車両全長七・二二メートル、車両全幅約二・五メートルの大型ダンプトラックであり、本件事故現場付近の道路は国道とはいえ片側一車線対面通行で自車走行車線の幅が二・九メートルの狭い道路であるから、このような道路において追越を行う場合には対向車との前方間隔を十分見きわめたうえ、追越しの目的で対向車線を走行して自車線に戻るために十分な余裕のある場合でなければ、追越を開始し、または続行すべきではないのに、対向車線を走行していた亡若槻数馬運転の原動機付自転車との前方間隔が不十分なままセンターラインを越えて追越を強行した過失により本件事故を発生せしめた。したがって同被告は民法七〇九条に基づき右過失に因って生じた後記の損害を賠償する責任がある。

2 被告野澤義正は、被告小玉が運転していた大型ダンプトラック(室一ゆ・三四九八号)を自己のために運行の用に供していた保有者であり、右トラックの運行によって亡若槻数馬の生命を害したのであるから、自動車損害賠償保障法三条に基づき、これによって生じた後記の損害を賠償する責任がある。

3(一) 被告富士火災海上保険株式会社は、昭和四六年七月二三日ころ、被告野澤義正と、前記大型貨物自動車について、保険期間を右同日から昭和四七年五月二三日(一〇か月間)と定めて自動車損害賠償責任保険契約(番号〇一―二〇一三七二)を締結したものであり、本件事故は右保険期間内に発生したものであるから、これによって生じた後記の損害について自動車損害賠償保障法一六条一項に基づき同法施行令所定の損害賠償額金五〇〇万円の限度で支払をなすべき責任がある。

(二) 仮に被告富士火災海上保険株式会社主張の抗弁事実が認められるとしても、本件事故を惹き起した大型ダンプトラックの保有者である被告野澤義正は野澤建設工業所という商号で個人事業を行っている者で不動産等の資産もなく、めぼしい資産としては右被告会社に対し本件事故によって取得した自動車損害賠償責任保険契約に基づく保険金請求債権のみを有するにすぎなく、他には数百万円の支払能力はないから、原告らは被告野澤義正に対する前記損害賠償請求権を保全するため、本訴において同被告の右被告会社に対する保険金請求権金五〇〇万円につき被告野澤に代位して行使する。したがって被告富士火災海上保険株式会社には原告らに対し右保険金の支払をなすべき責任がある。

4 被告日本火災海上保険株式会社は昭和四六年四月七日亡若槻数馬と同人が保有していた前記原動機付自転車について保険期間を右同日から昭和四七年四月五日までと定めて自動車損害賠償責任保険契約(番号六一―A七一〇五三号)を締結したが、本件事故は右保険期間内に発生したものである。自動車損害賠償保障法は専ら交通事故による被害者の保護を目的として公益性の高い「災害保険」制度を定めたものであり、同法に基づく保険制度は政府が再保険を行っている強制保険であること、交通事故によって被害を蒙る者は車外の第三者に限られず、同乗者、運転者、運行供用者も含まれることからみて、同法三条は専ら責任主体の範囲及びその立証責任を定めた規定であって、同法による保護を受ける者の範囲を限定するものではないと解釈すべきである。したがって右被告は同法一六条に基づき本件事故によって生じた後記の損害について同法施行令所定の損害賠償額金五〇〇万円の限度で支払をなすべき責任がある。

5 交通事故による被害者が自動車損害賠償保障法一六条に基づき損害賠償額の支払を請求するには所轄警察署作成の交通事故証明書の添付提出を要する。

本件事故は被告小玉が運転していた大型ダンプトラックの運行によって発生したものであるが、北海道警察本部門別警察署警察官は本件事故発生と同時に公正迅速、かつ、綿密な調査を行うべき義務があるのに、これを怠り、目撃者の証言の聴取、現場検証等の初動捜査を杜撰に行い、かつ、本件事故について未だ捜査中で事故の類型不明の段階にあった昭和四六年一〇月二五日、原告らの交通事故証明申請に対し、独自の予断に基づいて亡若槻数馬の単独事故である旨の誤った事故証明書を作成交付し、その後も本件事故の相手方である被告小玉については、同月二七日同人から事情を聴取し、昭和五〇年七月二三日一方的に同人のみを立会人として杜撰な現場見分を行ったのみで、肝心の同人が運転していた大型ダンプトラックについては全く捜査をなしておらず、事実を解明する努力を怠ったまま亡若槻数馬を道路交通法七〇条違反被疑事件の被疑者として静内区検察庁に対し事件を送致した。

このために、原告らは、自動車損害賠償保障法一六条一項に基づく損害賠償額の請求に必要な車両相互事故である旨の交通事故証明書を入手することができず、したがって仮に右内容の交通事故証明書の交付がありさえすれば、遅くとも昭和四六年一二月一日までに損害賠償額金五〇〇万円を後記の法定相続分の割合に応じて受領することができた筈であるから、右金五〇〇万円に対する右同日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金相当の損害を蒙った。

また、前記のとおり警察官が公正、迅速、かつ、綿密な調査を行うべき義務を怠ったため、亡若槻数馬の死は事故原因不明のままとなり、このことによって原告らが受けた精神的苦痛その他の無形の損害は、亡同人の妻である原告若槻みさをについて金一〇〇万円、亡同人の子であるその余の原告らについて各金二五万円で慰藉されるのが相当である。

よって、被告北海道にはその職員(警察官)の杜撰な行為によって原告らに対し負わせた右損害を賠償すべき責任がある。

三  本件事故による損害

1 亡若槻数馬の逸失利益(合計金一二五五万六六九〇円)

(一) 亡若槻数馬は静内機関支区勤務の国鉄職員で死亡当時満五二歳であったが、仮に本件事故なかりせば満五七歳になる迄勤務できた者である。同人が満五七歳になる迄勤務した場合に得べかりし給与は別表一記載のとおりであって、合計金七八一万〇八一四円から生活費として二分の一を控除した残額は金三九〇万五四〇七円となる。

(二) 亡同人が満五七歳になる迄(昭和五一年七月一五日迄)勤務した場合に国鉄から得べかりし退職手当は金七八七万四〇六四円であるところ、現実に本件事故による死亡を原因として支払われた退職手当金一七一万〇六九〇円の昭和五〇年七月一五日当時の現価は金二〇三万一四四四円となるから、得べかりし退職金七八七万余円との差額金五八四万二六二〇円が退職金に関する逸失利益となる。

(三) 年金の喪失額合計金二八〇万八六六三円

亡若槻数馬が満五七歳で退職した場合に受領すべかりし退職年金の年額金一〇〇万〇一六五円のうち、同人の妻である原告若槻みさをが受領すべき額は右の半額である金五〇万〇〇八二円であるところ、同女が昭和五一年一月末日現在受領している年額金三八万五〇二〇円との差額は金一一万五〇六二円となる。同女は大正一〇年五月一五日生まれ(本訴提訴当時満五五歳)であって、昭和四八年簡易生命表によれば同年齢の女性の平均余命は二四・四一年であるところ、右平均余命年数の期間に得べかりし年金の差額合計額は金二八〇万八六六三円となる。

2 相続関係

原告若槻みさをは亡若槻数馬の妻であり、その余の原告らは亡同人の子である。したがって原告若槻みさをは三分の一、その余の原告らは各六分の一の割合により亡若槻数馬の財産を相続した。したがって亡若槻数馬の逸失利益合計金一二五五万六六九〇円についての原告らの相続分は、原告若槻みさをについて金四一八万五五六三円、その余の原告らについて各金二〇九万二七八一円となる。

3 原告らの慰藉料

亡若槻数馬の死亡により亡同人の妻子である原告らが蒙った精神的苦痛は、原告若槻みさをについて金三〇〇万円、その余の原告らについて各金五〇万円で慰藉するのが相当である。

四  結論

1 被告北海道に対し、前記遅延損害金相当の損害として原告若槻みさをは金一六六万六六六六円に対する、その余の原告らは各金八三万三三三三円に対する昭和四六年一二月一日から右完済まで年五分の割合による金員を、前記慰藉料として原告若槻みさをは金一〇〇万円、その余の原告らは各金二五万円の支払を求める。

2 被告小玉義悦及び同野澤義正に対し、前記の損害の賠償として原告若槻みさをは金七一八万五五三〇円及びこれに対する本件事故後の昭和五一年二月一日から右完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金、その余の原告らは各金二五九万二七八一円及びこれに対する右同日から右完済まで右同割合による遅延損害金の連帯支払を求める。

3 被告富士火災海上保険株式会社及び同日本火災海上保険株式会社に対し、前記の損害の賠償額として原告若槻みさをは金一六六万六六六六円、その余の原告らは名金八三万三三三三円につき、被告小玉義悦及び同野澤義正との各連帯支払を求める。

(請求原因に対する答弁)

一  (被告小玉及び同野澤)

1 請求原因一項の事実のうち、原告ら主張の日時場所において被告野澤が保有し被告小玉が運転していた原告ら主張のトラックが苫小牧方面から静内方面に向けて進行中に大型貨物自動車を追越したことは認め、その余は否認する。

2 同二項1、2の事実のうち、原告ら主張のトラックが被告野澤が保有し、同小玉が運転していたものであることは認め、その余は否認する。

3 同三項の事実は不知。

二  (被告富士火災海上保険株式会社)

1 請求原因一項の事実のうち事故の態様は否認するが、その余は認める。被告小玉が運転していたトラックと亡若槻数馬運転の原動機付自転車は約三メートルの間隔をおいてすれ違ったものであるから、トラックの走行による風圧の影響などはあり得ず、しかも同人はすれ違った後約一〇〇米走行したのちに転倒したものであって、本件事故は同人の自己過失によって発生したものである。

2 同二項1、2の事実のうち原告ら主張のトラックが被告野澤が保有し、被告小玉が運転していたものであることは認めるが、その余は否認する。

3 同二項3のうち(一)の事実は認めるが、(二)の主張は争う。自動車損害賠償責任保険は被保険者が被害者に対する賠償の支払によって受けた損害の補償を目的としている。したがって被告野澤が原告らに対し損害の賠償をしていない以上、同被告は被告富士火災海上保険株式会社に対する保険金請求権を取得していないから、原告らの債権者代位権行使の主張はそれ自体失当である。

4 同三項1の事実のうち亡若槻数馬の年齢及び職業は認めるがその余は争う。同項2の事実は認める。同項3の主張は争う。

三  (被告日本火災海上保険株式会社)

1 請求原因一項の事実は不知。

2 同二項4のうち事実は認め、その余は争う。本件事故は被害者である亡若槻数馬自らが被告日本火災海上保険株式会社と自動車損害賠償責任保険契約を締結していた原動機付自転車を運転して走行中に起きたものであるから、亡同人は右契約に関する限り自動車損害賠償保障法三条所定の「他人」には該当せず、右被告会社には損害賠償額支払責任がない。

3 同三項1、2の事実は不知、同項3の主張は争う。

四  (被告北海道)

1 請求原因一の事実のうち、亡若槻数馬が、原告ら主張の日時・場所付近の道路上において原動機付自転車を運転して原告ら主張の方向に走行中、転倒して頭蓋底を骨折し、右骨折に基く急性心停止により即死したことは認めるが、その余は否認する。

2 同二項1の事実は否認する。

同項5のうち門別警察署警察官が本件事故原因を亡若槻数馬の自己転倒であると認定した事実、同警察官が昭和四六年一〇月二五日原告らに対し本件事故原因を車両単独事故「転倒」である旨記載した交通事故証明書を作成して交付した事実、同警察官が昭和四六年一一月一七日本件事故はもっぱら亡若槻数馬の安全運転義務違反によって発生した車両単独による転倒事故と認定し静内区検察庁に送致した事実、同警察官が昭和五〇年七月二三日被告小玉の立会のもとに行われた本件事故現場の見分及び本件事故当日の状況について同被告から受けた指示説明、聴取等の調査に参加した事実は認め、その余の事実は否認し、主張は争う。なお、本件事故現場の状況、事故原因調査経緯等は次のとおりである。

(一) 本件事故現場付近道路は、有効幅員七メートル(片側幅員三・五メートル)で白色破線による中央線と車道両端に白色実線による車道外側線が標示されている歩車道の区別のない平坦なアスファルト舗装道路(国道二三五号線)であるが、亡若槻の進行方向(静内町方向から苫小牧方向)からみて、半径五〇〇メートルの左カーブであり、本件事故地点(転倒地点)付近から苫小牧方向がゆるやかな上り勾配であるほか、転倒地点の左側方は深い沢であって、年間を通じて太平洋沿岸方向から沢づたいに内陸に向って吹き上げる風が相当に強い地点であり、本件事故当時は曇天で南東の風、風速毎秒三メートルないし五メートルであった。

原動機付自転車の法定最高速度は時速三〇キロメートル(道路交通法施行令一一条三号)であるところ、亡若槻が本件事故当時時速六〇ないし七〇キロメートルの高速で走行していたことが目撃されており、しかも自車進路左側に寄って通行することなく(道路交通法一八条一項)、道路左側部分のほぼ中央付近(若槻車の進路幅員は約三・五メートルと認められ、スリップ痕の始点は中央線から一・五メートルの間隔で印象されている。)を走行していた事実が認められる。被告小玉が印象されたスリップ痕の始点付近で亡若槻とすれ違った際に被告小玉が中央線を超えて対向車線(若槻車の進路)に進入し若槻と接触した事実のないことは明白である。

したがって、本件事故は、運転経験が浅く未熟な亡若槻数馬が、本来四輪の車両に比較して不安定な原動機付自転車を運転し、遠心力の作用で路外逸脱や横転の危険の多い曲線道路を法定最高速度の二倍以上の高速で進行したため、対向車の接近に備えて急制動措置をとりつつ自車進路左側方に回避しようとしたところ、自車の安定を失って転倒したことによって発生した自損事故である。

(二) 本件事故発生当日の午後二時二五分頃、本件事故の発生を認知した門別警察署では、(1)当直責任者田中豊造警部補が初動措置を指揮し、村中和裕巡査部長、森田美喜夫巡査長及び船山庄二巡査らと共に本件事故現場に臨場し、訴外門口進(被告小玉の車に追従し亡若槻の車とは対向していた目撃者)及び訴外小宮正佳(亡若槻に追従した車の助手席からの目撃者)の両名を立会人として実況見分(船山巡査担当)を実施したほか、本件事故現場及び亡若槻の車の見分状況を写真撮影(村中部長担当)するなど証拠保全に配意した(なお、右門別署員らの臨場時及び実況見分実施の間には被告小玉義悦及び原告ら(遺族)は現在しなかった。)。(2)前記実況見分終了後、村中部長は亡若槻数馬の収容先である門別町富川の鎌田病院において検視を行った。(3)門別警察署において森田巡査長が実況見分立会人訴外門口進を参考人として供述書を作成した。(4)昭和四六年一〇月一八日、村中部長が訴外田中健治(前記訴外小宮正佳を同乗させた運転者)から事情聴取し参考人供述調書を作成した。(5)右同年同月二三日、村中部長が原告若槻みさをから事情聴取し参考人供述調書を作成した。(6)右一連の捜査結果から、本件事故発生当日、本件事故現場付近において、若槻車とすれ違ったと認められる車両の運転者被告小玉義悦の所在を特定し得た。そこで、右同年同月二七日、森田巡査長は、同被告の静内町の勤務先において、同被告から事情聴取し参考人供述調書を作成した。本来、警察の捜査は発展的、流動的性格を有し、特に交通事故事件の場合にはその特殊性から当該事故現場における証拠資料の確保のため早期かつ迅速な捜査活動(実況見分、証拠の収集など)が要求されるものであるが、被告北海道は以上のとおり、本件事故に関する一連の捜査の結果から、本件事故はもっぱら訴外亡若槻数馬の安全運転義務違反によって発生した車両単独による転倒事故と認定し、昭和四六年一一月一七日静内区検察庁に送致したものである。

したがって、門別警察署において公正かつ綿密な捜査を遂げた結果、本件事故が亡若槻数馬の安全運転義務違反による車両単独の転倒事故と判断認定し、送致したことには何らの違法も認められない。

(三) 警察官には捜査にもとづく当該認定事実を曲げてまで、あえて「車両相互」の事故証明を出すべき義務があると批難されるいわれはないが、そもそも交通事故証明の手続は当該交通事故の当事者(交通事故に関係したもの。)が、保険会社等から交付を受けた「交通事故証明願」申請用紙に必要事項を記入押印したうえ、当該交通事故を取扱った警察署(長)に対し申請(二部提出)し、警察署では、「交通事故証明願」と同署保存の交通事故統計原票の記載事項を照合確認し、記載内容に誤りがあればその場で申請者に訂正させたうえ、下部該当欄に証明年月日、警察署名及び証明番号を記入証明(発給、交付)するものである。

本来警察署長が発給する交通事故証明は警察以外に他にかわるべき機関がないところから、慣例的かつ市民サービス的見地から当該交通事故の取扱い事実を証明するものであって、証明事項は、交通事故発生日時、場所、当事者の住所、氏名、年齢、車両番号及び事故類型に限られ、被害の程度、交通法令違反の有無及び過失の有無など(原告が摘示して主張する事故原因について)警察が有権的な認定をなし得ない事項についての証明は行わないものである。本件交通事故証明書は原告ら自身が事故類型等の欄の車両単独の転倒である旨記載して申請したものであり、門別警察署が右に述べた手続を履行して本件事故証明書を発給(証明年月日―「昭和四六年一〇月二五日」警察署名―「門別」、証明番号―「一〇〇」のみを記入し、門別警察署長印及び同署名の日付印をそれぞれ押印)したものであるから、原告らの警察署長が本件事故の転倒原因等についても記載すべきであり、記載しなかったことに過失がある旨の主張は、何ら根拠のない独自の見解であり、明らかに失当である。

(抗弁)

一  (被告小玉及び同野澤)

仮に被告小玉及び同野澤が民法七〇九条または自動車損害賠償保障法三条に基づき原告らに対し損害賠償責任を負うとしても、原告らは、田村誠一弁護士を代理人として、昭和四七年一二月一五日、札幌地方検察庁に対し「野澤建設株式会社運転手某」(被告小玉)を業務上過失致死被疑事件の被疑者として告訴した。右は、原告らが右代理人と共に静内警察署及び静内区検察庁に行って事情を調査した結果「野澤建設」の自動車が本件事故現場を通過した事実を知ったことから、右自動車の運転者は「野澤建設」の従業員である旨推測して告訴したものであり、告訴状には「野澤建設株式会社」と記載されているけれども、「野澤建設」の商号を知ったことは野澤建設の経営者を知ったことに他ならないから、原告らは遅くとも昭和四七年一二月一五日には本件事故について野澤建設の経営者が損害賠償義務者(加害者)であることを知っていた。したがって、原告らの被告小玉及び同野澤に対する損害賠償請求権は、民法七二四条に基づき、損害及び加害者を知った昭和四七年二月一五日から三年の期間の経過によって時効消滅した。よって、本訴において右時効を援用する。

二  (被告富士火災海上保険株式会社)

原告らの自動車損害賠償保障法一六条に基づく損害賠償金請求権は時効により消滅している。

同法一九条及び商法六六三条による消滅時効期間(二年)の起算点は民法の一般原則のとおり「権利ヲ行使スルコトヲ得ル時」すなわち権利者に客観的に何らかの権利が発生した時であり、権利者が権利の存在やその行使の可能性を知らないなどの主観的事情は時効の進行を妨げない。そうすると右消滅時効の起算点は本件事故発生日となり、原告らの請求権は昭和四六年一〇月二六日から二年の期間の経過によって時効消滅した。よって、本訴において右時効を援用する。

三  (被告日本火災海上保険株式会社)

仮りに原告らが被告日本火災海上保険株式会社に対し損害賠償額支払請求権を有していたとしても、右請求権の消滅時効期間は二年(自動車損害賠償保障法二三条、商法六六三条)であるから、本件事故の発生した昭和四六年一〇月一六日から二年の期間の経過によって原告らの右請求権は時効消滅した。

よって、本訴において右時効を援用する。

(抗弁に対する答弁)

一  抗弁一のうち原告らが田村誠一弁護士と共に静内警察署及び静内区検察庁に行って事情を調査したうえ、「野澤建設」の自動車が本件事故現場を通過した事実を知ったことから、右自動車の運転手は「野澤建設」の従業員である旨推測し、昭和四七年一二月一五日右弁護士を代理人として札幌地方検察庁に対し「野澤建設株式会社運転手某」を業務上過失致死被疑事件の被疑者として告訴した事実は認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。短期消滅時効制度の基礎は権利の上に眠る者を保護しない旨の法諺にあるところ、消滅時効の起算点に関する民法七二四条所定の「損害及ビ加害者ヲ知リタル時」とは、損害が発生した事実を知り、かつ、右損害を発生せしめた加害者の行為が違法性を有することを知った時であると解釈すべきである。本件においては、原告若槻みさをが本件事故当日門別警察署警察官から亡若槻数馬は突風にあおられて自ら転倒した旨事故原因の説明を受けたが、その後原告らは、調査の結果本件事故発生の際に野澤建設のトラックがすれ違った事実を知り、昭和四七年一二月一五日右トラックの運行と本件事故との因果関係を明確にするために札幌地方検察庁に対し業務上過失致死罪の被疑者として野澤建設株式会社運転手某を告訴した。しかし、原告らのうち若槻雄二は昭和四八年六月二〇日右地方検察庁検事大林宏から疑わしい点が多く、目撃者の証言もあいまいで被疑者を処罰するに足りる適確な証拠がない旨告げられ、右トラックの保有者の正式名称及び住所、運転手の氏名及び住所、自動車損害賠償責任保険の番号及び保険会社名を知ることもできなかった。原告らはその後同検事から昭和四八年六月二九日付不起訴処分通知書の送付を受けた。したがって、原告らは本件事故発生後のひたむきな調査活動にもかかわらず、加害者(不法行為者)である被告小玉を特定し、同人の行為と本件事故と被告小玉の行為との因果関係及び同人の行為の違法性を知ることができなかった(大審院大正五年五月五日判例参照)から、告訴の日をもって消滅時効の起算点とすることはできない。

仮りに民法七二四条所定の加害者には「不法行為者に非ずして損害賠償責任を負う者」を含むとしても、本件において原告らが知ったのは当初「野澤建設」という商号だけであり、住所も不明なために右商号の主体が本件被告野澤義正である旨加害者を特定することはできなかった。したがって、原告らが特定不充分なまま「野澤建設株式会社運転手某」を被疑者として告訴をなしたことから原告らが本件事故について加害者野澤義正を知っていたということはできない。原告らが損害の発生、加害者である被告野澤及び同小玉並びに右加害者小玉の加害行為の違法性を知ったのは昭和五〇年九月一日である。

二  抗弁二、三は争う。民法一六六条は消滅時効の起算点を「権利ヲ行使スルコトヲ得ル時」と定めているが、右は損害(債権)及び賠償義務者(債務者)が権利者の側において予め明らかな契約関係に基づく債権について規定したものであって、不法行為の場合には往々にして請求の相手方及び損害が必ずしも被害者に判明しないことがあるから被害者を特に保護する必要があり、民法七二四条は不法行為債権の消滅時効の起算点について「損害及ビ加害者ヲ知リタル時」と定めている。したがって自動車損害賠償保障法一九条が同法一六条一項の請求権について定めた消滅時効の起算点については民法七二四条を適用すべきである。

第三証拠《省略》

理由

第一本件事故の発生

一  請求原因一項の事実について、被告小玉、同野澤、同富士火災海上保険株式会社及び同北海道はその一部の事実の存否を争い、同日本火災海上保険株式会社は全部の事実の存否を争うので、検討する。

二  《証拠省略》を総合すると次の1ないし5の事実を認めることができる。

1  亡若槻数馬は、昭和四六年一〇月一六日午後二時二〇分ころ、沙流郡門別町旭丘五番地先付近の国道二三五号線を自己保有の原動機付自転車(静内町い四八〇号、ホンダ・スーパーカブ五〇CC)を運転して静内方面から苫小牧方向に向けて進行中、被告小玉義悦運転の大型ダンプ・トラックとすれ違った際に、安定を失って転倒し、頭部に打撃を受けたために頭蓋底骨折による急性心停止を起こして即死した(以下単に「本件事故」という)。

2  本件事故現場付近の国道二三五号線道路の概況は別紙図面のとおりであるが、亡若槻数馬の進行方向に沿って見ると、本件事故現場の東方(静内方向)約九〇〇メートルの地点から半径約一〇〇〇メートル、次いで半径約一五〇〇メートルのいずれも山側に向うゆるい右カーブを描いており、さらに約二〇〇メートルの直線区間を経て半経約五〇〇メートルの海側に向う左カーブ(長さ約二五〇メートル)を描き、このカーブのほぼ中間付近の本件事故現場を経たうえ、直線区間となって苫小牧方向へ続いている。右に述べた部分の勾配は全体として平坦に近いゆるい下り坂であるが、本件事故現場付近から勾配約二・一ないし二・九パーセントの上り坂となっており、この上り坂の頂上は本件事故現場から苫小牧方向約三五〇メートルの地点であって、右地点は門別町旭丘付近における国道二三五号線の最高地点である。本件事故現場から右の上り坂の頂上以西(苫小牧方面)を見通すことはできない。本件事故現場の海側には海岸へ続く沢(通称ポロピナイ沢)があるが、沢の東側(左岸)には保安林が繁茂しており、前記半径約五〇〇メートルの左カーブの東端付近の路上からは、カーブの内側(海側)に保安林が繁茂していることになるために見通しが悪く、上り坂を見通すことができない。

3  以上に述べた国道二三五号線は全幅約六・五メートルの片側一車線対面通行のアスファルト舗装道路であって、路面は本件事故当時乾燥していた。したがって、亡若槻数馬の走行車線の幅は約三・二五メートルであるが、本件事故現場付近には同人の原動機付自転車が残したスリップ痕一条(長さ約七・五メートル)及び擦過痕一条(長さ約七・九メートル)があり、右スリップ痕の始点から右自転車が横転して停止した地点までの距離は約二二・六メートルであった。したがって、亡若槻数馬の本件事故当時の進行速度は速くとも時速四〇ないし三〇キロメートル以下であったと推認できる(法曹会発行最高裁判所事務総局編・交通事件執務提要二二二頁以下参照)。

4  被告小玉義悦は本件事故当日、被告野澤義正保有の大型貨物自動車(大型ダンプトラック室ゆ三四九八号)を運転して苫小牧方面から静内方面に向けて走行中、本件事故現場付近において亡若槻数馬運転の原動機付自転車とすれ違ったものであるが、本件事故現場付近の国道二三五号線を被告小玉義悦の進路に沿って見た状況は次のとおりである。右道路は本件事故現場の西方(苫小牧方向)約二〇〇〇メートルの地点から半径約二九〇メートル長さ約五七〇メートルの山側に向う急な左カーブを描いており、さらに約一〇〇〇メートルの直線区間を経て本件事故現場付近の半径約五〇〇メートルの海側へ向う前記の右カーブに続いている。右に述べた部分は上り坂と下り坂が連続した勾配の急な道路であって、坂の頂上(門別町旭丘)は前記の約一〇〇〇メートルの直線区間にあり、本件事故現場の西方約三五〇メートルの地点である。苫小牧方面から右の坂の頂上付近に至る上り坂は前記の左急カーブ及び直線道路であるが、約三・五ないし四・四パーセントの急勾配で左急カーブの終点付近には海側(右側)の国鉄日高線門別駅方面に通ずる町道との変型T字型交差点があり、また、この交差点から坂の頂上付近までの道路左側には門別中学校がある。坂の頂上付近から本件事故現場付近まで約三五〇メートルの部分は前記の直線及び半径約五〇〇メートルの右カーブ道路で、勾配約二・一ないし二・九パーセントの下り坂である。下り坂の頂上から本件事故現場までの見通しは良好であるが、前記の通り海側に繁茂した保安林があるため半径五〇〇メートルの海側へ向う右カーブの東端付近ないし静内方面の道路を見通すことはできない。

5  被告小玉義悦は、本件事故当日大型ダンプトラックを運転し、午前九時ころ札幌を出発し静内へ向う帰路本件事故現場を通過したものであるが、トラックには荷物を積載していなかった。本件事故当時、訴外門口進はラワン材をほぼ満載した大型貨物自動車(積載量一一トン)を運転して門別町旭丘付近を被告小玉と同一方向に進行していた。訴外門口のトラックの速度は門別中学校前の上り坂を上りきるまでは時速約二〇キロメートル、その後は時速三〇ないし四〇キロメートルに加速した。被告小玉は右の上り坂の中間付近で訴外門口のトラックに追いつき、しばらくの間は追従して進行していたが、坂の上部に達して見通しがきくようになったので追越を開始し、加速しながら進路を変更して対向車線上を進行し、上り坂の頂上付近で訴外門口のトラックと並んだのち、さらに時速約五五ないし六〇キロメートルに加速しながらそのまま進行し、下り坂の途中で自車線に復帰して追越を終了した。したがって同被告が追越を終了したのは本件事故現場付近の半径約五〇〇メートルのカーブ(長さ約二五〇メートル)の西端付近であるが、その後、このカーブの中間付近で亡若槻数馬運転の原動機付自転車とすれ違った。右被告小玉運転の大型トラックの車幅は約二・五メートルであるから同車の右端はセンターラインの直近を通過した。同被告は追越終了後ギヤ操作を行ったが、亡若槻とすれ違った際の進行速度は時速約六〇キロメートルであった。また、被告小玉のトラックが亡若槻の原動機付自転車とすれ違った際における右トラックと追越された訴外門口のトラックとの車間距離は約五〇メートルであった。

6  以上の事実を総合し、特に亡若槻と被告小玉の位置関係に着目すると、亡若槻数馬は本件事故当時、時速約四〇キロメートル以下の速度で原動機付自転車を運転して静内方面から苫小牧・門別中学校方面へ向け国道二三五号線を進行中、本件事故現場付近の半径約五〇〇メートルの左カーブに差しかかり、カーブ内側(海側)の保安林の陰から前方の見通しがきく地点に差しかかった際、前方の門別中学校方向の上り坂頂上付近から被告小玉運転のトラックが訴外門口運転のトラックを追越しつつ、亡若槻が進行すべき苫小牧方面行き車線を時速約五五ないし六〇キロメートルの速度で対面進行してくるのを発見したため、正面衝突ないし接触事故の危険性を察知し、急制動措置を講じたところ、被告小玉が坂の途中で自車線に復帰してすれ違ったため衝突事故は回避したものの、驚愕と急制動措置のために安定を失い、その場に転倒し、前記傷害を受けて即死するに至ったものと認めることができる(別紙図面参照)。したがって、本件事故は被告小玉が運転していた大型ダンプトラックの運行によって生じたものということができる。

以上の認定に対し、被告富士火災海上保険株式会社及び同北海道は、本件事故は亡若槻数馬の自己過失によって発生したものであって、被告小玉のトラックの進行とは無関係である旨主張して因果関係を否定し、《証拠省略》には本件事故当日警察官に対し訴外小宮正佳が亡若槻の進行速度は時速六〇ないし七〇キロメートルであった旨説明した事実の記載があるが、同訴外人の説明は措信することができず、他には以上の認定を覆すに足りる反対証拠はない。

第二被告野澤義正、同富士火災海上保険株式会社及び同小玉義悦の責任

一  被告野澤義正の責任

本件事故当時被告小玉が運転していた大型ダンプトラックの保有者が被告野澤であったことは原告らと同被告の間で争いがなく、かつ、本件事故の発生と右トラックの運行との間に因果関係があることは前記認定のとおりであるから、被告野澤は本件事故による損害の賠償について自動車損害賠償保障法三条に基づく責任を負うべきものである。なお後記のとおり本件事故発生に関し、被告小玉義悦の過失については的確な証拠を欠くのであるが、同被告が無過失であったとの立証もない。

二  被告富士火災海上保険株式会社の責任

前記第一において証拠によって認定したとおり本件事故が被告野澤義正保有のダンプトラックの運行によって発生したものであるが、請求原因二3(一)の事実(被告小玉が本件事故当時運転していた大型ダンプトラックについて、保有者である被告野澤と同富士火災海上保険株式会社が自動車損害賠償責任保険契約を締結し、本件事故が右契約所定の保険期間内に発生した事実)は右被告会社と原告らとの間で争いがなく、右事実によれば右被告会社も本件事故につき自動車損害賠償保障法一六条により保険金額の限度で亡若槻数馬の損害を賠償する義務があるというべきものである。

三  被告小玉義悦の責任

請求原因二の1の事実のうち、本件事故当時、被告小玉が最大積載量八トン、車両全長約七・二二メートル、車両全幅約二・五メートルの大型ダンプトラックを運転していた事実は原告らと同被告間で争いがない。

本件事故現場付近の道路状況、被告小玉運転のダンプトラックの運行との間に因果関係があること、及び、同被告が上り坂の頂上付近で訴外門口運転のトラックの追越を開始したことは前記第一の二項において認定したとおりである。右事実によれば、同被告が道路交通法三〇条一項に違反して追越禁止場所において追越を開始したこと、右の坂の頂上ないし本件事故現場に至る下り坂の途中からは前記の半径約五〇〇メートルの海側へ向う右カーブの東端以遠に対する見通しは良好ではないのであるから、このような場所において対向車線を利用して追越を行う自動車運転者としては、反対方向からの交通に絶えず注意しつつできるだけ安全な速度と方法で進行し、対向車を発見したときには速やかに追越を終了または中止して自車線に復帰し、さらに他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転を行うべき業務上の注意義務を負っていたものである(同法二八条四項、七〇条)。

本件事故が亡若槻数馬の車両と被告小玉の車両がすれ違った際に生じたことは前記認定のとおりであり、被告小玉の車両の運行が亡若槻数馬の車両の運行になんらかの影響を与えたことは既にみたとおりであるが、本件事故については被告小玉が追越を終了して自車線に復帰した正確な位置、その際における被告小玉の車両と亡若槻数馬の車両との間隔及び両車がすれ違った際の具体的状況が判明しない。被告小玉義悦は本人尋問において本件事故当時に亡若槻数馬の原動機付自転車を見た記憶はないと述べ、同被告が本件事故の発生に気づかなかった事実を推認することができるが、右事実をもって同被告が本件事故現場付近において追越をした際に十分に前方を注視していなかったものと推認することもできず、さらに、被告小玉には本件事故当時追越禁止場所で追越を開始した違法行為があったが、本件事故は同被告が既に追越を終了して自車線に復帰した際に発生したものであるから、右違法行為自体が本件事故発生の原因と認めることもできず、他に同被告について本件事故現場付近における自動車運転上の注意義務違反の事実を認めるに足る十分な証拠は見当らないから、同被告については本件事故発生に対する過失が存したとの立証を欠くものといわざるをえない。そうすると、原告らの被告小玉に対する請求はその余の点について判断するまでもなく理由がない。

四  消滅時効の主張について

1  被告野澤及び同富士火災海上保険株式会社は、それぞれの原告らに対する責任は時効によって消滅した旨主張するので、この点について検討する。

2(一)  抗弁一項のうち、原告らが田村誠一弁護士と共に静内警察署及び静内区検察庁に行って事情を調査したうえ、「野澤建設」の自動車が本件事故現場を通過した事実を知ったことから、右自動車の運転手が「野澤建設」の従業員である旨推測し、昭和四七年一二月一五日右弁護士を代理人として札幌地方検察庁に対し「野澤建設株式会社運転手某」を業務上過失致死被疑事件の被疑者として告訴した事実は原告らと被告野澤義正との間で争いがない。被告野澤は、「野澤建設」という保有者の商号を知ったことは、野澤建設の経営者である被告野澤義正が保有者であることを知ったことに外ならず、同被告に対する原告らの損害賠償請求権の消滅時効起算点は遅くとも告訴がなされた昭和四七年一二月一五日である旨主張するのでこの点について検討する。

(二) 民法七二四条にいう加害者とは損害賠償義務者を意味し(大審院昭和一二年六月三〇日判決・民集一六巻一二八五頁)、自動車損害賠償法三条に基づく保有者の責任の消滅時効起算点は被害者が損害及び保有者を知ったときである。ここに被害者が加害者を知ったものというためには、民法七二四条の消滅時効制度の本旨に鑑み、少くとも加害者に対する賠償請求が事実上可能な状況のもとに、その可能な程度にこれを知ることを必要とし、被害者が加害者の住所氏名を的確に知らず、しかもその間の状況においてこれに対する損害賠償請求権を行使することが事実上不可能な場合においては、その状況が止み、被害者が加害者(保有者)の住所氏名を確認した時に初めて「加害者ヲ知リタル時」にあたると解すべきものである(最高裁昭和四八年一一月一六日第二小法廷判決・民集二七巻一〇号一三七四頁)。

(三) 被害者が損害及び加害者である自動車の保有者を知ったと認めるためには、被害者が保有者の責任を基礎づけるべき客観的事実を知ることを要するところ、本件事故は一方の当事者である亡若槻数馬が死亡し、被告小玉運転の対向車が事故に気づかずに走り去り、かつ、所轄警察が本件事故を亡若槻数馬の単独事故と処理したりして、前記のとおり一部事実関係を解明することができないのであるから、私人である原告ら遺族にとっては対向車の運行の影響の有無の決め手になる客観的事実を知り、加害者に対する賠償請求を行うことは当初から事実上困難な状況にあった。したがって、本件事故については仮りに原告らが対向車の保有者を知ったとしても、そのことから直ちに加害者を知ったものと認めることはできない。

しかも、原告若槻雄二本人尋問の結果によれば、本件事故について原告らは当初事故の相手方である被告小玉の運転車両の保有者が何人であるか全く知らず、《証拠省略》によれば、その後、原告らは、遅くとも告訴をなした昭和四七年一二月一五日ころ、本件事故の際に亡若槻数馬とすれ違ったダンプトラックの保有者が野澤建設という建設業者である旨認識した事実を認めることができる。そこで、右事実をもって原告らが保有者である被告野澤義正に対し賠償請求が可能な程度に同被告を知ったものと認めることができるかどうか検討する。《証拠省略》を総合すると、原告若槻みさをは本件事故後まもなく本件事故について亡若槻数馬の死亡診断書及び警察の交通事故証明書を入手して退職手当等の支払を受けたが、右証明書には所轄警察の認定事実として本件事故原因が亡若槻数馬の単独転倒事故である旨記載されていたため、加害者らに対する損害賠償請求は困難な状況であったこと、原告らは、これに対し右の事故原因の認定に疑いを抱き、一応の調査結果に基づいて捜査機関の注意を喚起し、これによって本件事故原因が他の車両の運行によって生じた事実等の立証の途を開こうとして、前記の告訴に及んだこと、告訴の結果が不起訴であったため、一旦は加害者に対する責任追及をあきらめたこと、原告らは昭和五〇年になって右責任追及の努力を再開し、昭和五〇年七月一四日北海道警察本部に対し、本件事故の加害者及び加害者運転の車両の保有者の住所氏名等を問合わせたところ、単独事故と認定したため保有者の住所氏名については捜査しなかった旨の回答を受けたこと、原告らはさらに同年八月二一日札幌弁護士会を通じて札幌地方検察庁に対し照会した結果、同月二六日ころ前記告訴事件の被疑者として被告小玉義悦が取調を受けた事実及び同被告の住所、保有者の名称(野澤建設株式会社)及び住所(静内郡静内町字古川一一四番地)を知ったこと、原告らはその後の調査によって遅くとも同月二七日ころ野澤建設の住所(苫小牧市字沼の端五三番地)及び経営者の氏名(野澤義正)を知り、同年九月三〇日被告野澤義正に対し、被告小玉運転の車両の番号、自動車損害賠償責任保険の番号及び保険会社を問合わせたこと、前記野澤建設の静内の住所は野澤建設静内出張所の住所であったことが認められ、右認定に反する証拠はない。右認定事実の経過に照らすと、前記のとおり被告小玉運転車両の保有者の氏名住所を知らなかった原告らが、保有者である被告野澤義正に対する損害賠償請求が可能な程度に同被告を知った時期は早くとも昭和五〇年八月二七日ころであったと認めることができる。そうすると、同被告の時効の抗弁は理由がない。

3  被告富士火災海上保険株式会社は、同会社の原告らに対する責任については、自動車損害賠償保障法一九条及び商法六六三条に基づいて本件事故発生の日が消滅時効の起算点となると主張する。なるほど、同法一九条は特に被害者の便宜のため早急な損害賠償の支払を目途とする直接請求権や仮渡金請求権については、長らくこれを行使しない者に対し認める必要がないとして、短期消滅時効を採用したものではあるが、およそ消滅時効は権利を行使することができる時から進行する(民法一六六条一項、七二四条)ものであって、原告らが保有者である被告野澤に対し自動車損害賠償保障法三条による損害賠償責任を追及することができるのを知ったのが昭和五〇年八月二七日ころであること前記認定のとおりであるから、被告会社の抗弁は理由がない。

第三原告らの損害賠償請求権

一  逸失利益

1  《証拠省略》によれば、亡若槻数馬は大正八年七月一五日生れの男子で、本件事故当時、国鉄苫小牧機関区静内機関支区燃料指導掛として勤務し、基本給(一般職五等級六八号俸)月額金七万六二〇〇円及び扶養手当月額金一七〇〇円の支給を受け、同人死亡に伴い支給された退職手当の金額は金一七一万〇六九〇円であったことが認められる。

2  原告らは本件事故によって死亡しなければ亡若槻数馬は満五七歳(昭和五一年七月一五日)まで勤務した筈であると主張するが、国鉄職員には定年がないこと、退職年金は五五歳未満の者については支給が停止されること(公共企業体職員等共済組合法五〇条二項)及び《証拠省略》を併せ考慮すると、逸失利益算定の基礎とすべき勤務年限は亡同人が満五五歳に達する昭和四九年七月一五日をもって相当と認める。

3  前記1の証拠によれば、亡若槻数馬と同等の給与条件の国鉄職員が受けるべき昭和四九年七月一五日当時の基本給は月額金一二万八六〇〇円、昭和四六年一一月一日から昭和四九年七月一五日までの期間内に支払を受けるべき俸給その他の給与は別表二記載のとおり合計金四七一万〇五二〇円であることが認められる。原告らは亡若槻数馬の逸失利益として割増金相当額をも請求しているが、右証拠によれば割増賃金は稼働実績に基づいて現実に算定されるもので、超過勤務手当等に相当するものであるから、死亡した亡若槻数馬の逸失利益算定の際これを考慮することは相当でない。

4  亡若槻数馬の昭和四六年一〇月一六日当時の基本給月額金七万六二〇〇円及び退職手当金一七一万〇六九〇円から国家公務員退職手当法二条一項二号及び五条の二所定の計算方法によって同人の勤務年数を逆算すると二一年九月一三日間となる。そうすると同人の昭和四九年七月一五日における勤続年数は二四年四月二九日間となるから、右同日現在において得べかりし基本給月額金一二万八六〇〇円に基づき前記法条所定の方法によって計算すると同人が満五五歳で退職する場合に得べかりし退職手当は金三三八万二一八〇円となり、前記金一七一万〇六九〇円との得べかりし差額は金一六七万一四九〇円となる。

5  原告らは亡若槻数馬が本件事故によって死亡しなかった場合に得べかりし退職年金と原告若槻みさをが現に支給を受けている遺族年金との差額についても本件事故による逸失利益である旨主張するが、退職年金は退職した職員が死亡するまで支給されるものであって、相続の対象となるものではないから、遺族である原告らが退職年金について逸失利益として損害の賠償を求めることはできず、原告らの右主張は失当である(公共企業体職員等共済組合法五〇条参照)。

6  したがって、亡若槻数馬が本件事故死によって失った将来取得すべかりし利益は前記給与相当額の合計から相当の生活費として三割を控除した残額金三二九万七三六四円、退職手当の差額金一六七万一四九〇円、右合計金四九六万八八五四円となる。

二  過失相殺

亡若槻数馬は前記第一の二項2において認定したとおり、本件事故現場付近を時速四〇ないし三〇キロメートル以下の速度で進行していたものであるが、同人が進行していた半径約五〇〇メートルの左カーブの東端付近は海側(左側)に保安林が繁茂していて前方の上り坂方向に対する見通しが悪いのであるから、このような場所を進行する原動機付自転車の運転者としては前方をよく注意して安全な速度と方法で進行し、危険を発見した場合には適切な措置を講じて危険を回避すべき義務があるのに、亡若槻は法定の最高速度(時速三〇キロメートル)を若干上廻る速度で進行し、不適切にも急制動措置を講じ、このため安定を失って転倒したものであるから、本件事故の発生については亡若槻数馬にも過失があったといわなければならない。前記のとおり詳細不明のために被告小玉について本件事故発生に対する過失の存在を認定することはできないが、本件事故が少くとも同被告の自動車運行によって生じたこと、その他本件事故の態様及び亡若槻数馬の右過失も本件事故発生の原因であることを考慮すると、原告らの損害については過失相殺により六割を控除するのが相当である。したがって被告野澤義正及び同富士火災海上保険株式会社が原告らに賠償すべき逸失利益の総額は金一九八万七五四一円となる。

三  相続

原告らが亡若槻数馬の相続人であることは後記四項のとおりであって、原告若槻みさをの相続分は三分の一、その余の原告らは各六分の一の割合であるから、前項の逸失利益賠償請求権についての相続分は原告若槻みさをについて金六六万二五一三円、その余の原告らについて各金三三万一二五六円となる。

四  慰藉料

《証拠省略》によれば、亡若槻数馬(本件事故当時五二歳)は、昭和二一年一二月一七日原告若槻みさを(同五〇歳)と婚姻し、同女との間に原告若槻祐子(同二五歳)、同若槻貞雄(同二三歳)、同横井憲子(同二〇歳)、同若槻雄二(同一九歳)の四名の子女を儲け、永年の間、国鉄職員として勤務しつつ一家の支柱として家族の生活を支えていたこと、及び亡若槻数馬が本件事故によって死亡したことに伴い、家族である原告らが著しい精神的苦痛を受けたことが認められ、反証はない。

本件事故の発生については亡若槻数馬にも過失があったことは前記第三の二項のとおりであるから、以上の事実を勘案すると、亡若槻数馬の本件事故による死亡について原告らが受けた精神的苦痛は慰藉料総額金二〇〇万円(原告若槻みさをについて金八〇万円、その余の原告らについて各金三〇万円)で慰藉されるのが相当である。

五  結論

よって、被告野澤義正は自動車損害賠償保障法三条、同富士火災海上保険株式会社は同法一六条一項、一三条一項、同法施行令(昭和四五年政令第二六三号による改正後のもの)二条一項一号イに基づき、連帯して原告若槻みさをに対し逸失利益金六六万二五一三円及び慰藉料金八〇万円の合計金一四六万二五一三円を、その余の原告ら各自に対しそれぞれ逸失利益金三三万一二五六円及び慰藉料金三〇万円の合計金六三万一二五六円を支払う責任があり、かつ、被告野澤義正は本件事故の日の後である昭和五一年二月一日から、原告若槻みさをに対しては右金一四六万二五一三円に対する、その余の原告ら各自に対してはそれぞれ右金六三万一二五六円に対する右完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき責任がある。

第四被告日本火災海上保険株式会社の責任

請求原因二項4の事実は当事者である原告らと被告日本火災海上保険株式会社との間で争いがないが、自動車損害賠償保障法一六条一項の被害者の保険会社に対する損害賠償額請求権は、被害者が運行供用者に対し同法三条に基づいて有する損害賠償請求権を補填する目的で認められた法定の権利であるから、同法三条の権利者となりえない者には同法一六条一項の適用の余地はない。本件において、被告日本火災海上保険株式会社が保険義務を負っている原動機付自転車の保有者は亡若槻数馬である。したがって同人の同人の死亡による損害について原告らが右被告会社に損害賠償額の支払を求めることはできず、原告らの右被告会社に対する請求はその余の点について判断するまでもなく失当である。

第五被告北海道の責任

請求原因二項5の事実のうち、門別警察署警察官が、本件事故の原因を亡若槻数馬の自己転倒である旨認定し、昭和四六年一〇月二五日原告らに対しその旨記載した交通事故証明書を作成交付した外、同年一一月一七日同人を被疑者として事件を静内区検察庁に送致したこと、並びに昭和五〇年七月二三日本件事故現場において行われた現場見分及び被告小玉の指示説明聴取等の調査に参加したことは原告らと被告北海道との間に争いがない。

原告らは、右事実に関し、右警察官が、杜撰な捜査を行い十分な捜査の努力を怠ったまま亡若槻数馬の単独の過失によって本件事故が発生したと判断し、同人を被疑者として検察庁に送致した、右警察官が昭和四六年一〇月二五日捜査が継続中で事故原因の類型も不明な段階であるのに独自の予断に基づいて本件事故は亡若槻の単独事故である旨誤った内容を記載した交通事故証明書を交付した、及びこのことによって原告らが損害を受けたと主張する。

しかし、被害者が自動車損害賠償保障法一六条一項に基づき直接保険会社に対し損害賠償額支払請求をなすためには、同法施行令三条一項所定の書面によらなければならないところ、右書面に添付を要する同条二項二号所定の書面は警察官作成の交通事故証明書に限られるものではないから、本件において偶々原告らの主張に沿わない内容の交通事故証明書が作成交付されたからといって、このことと原告らが保険会社に対する請求を差控えたこととの間に相当因果関係があると認めることはできない。

また、警察官が警察法二条等に基づいて負っている責務は、直接被害者となった個人に向けられたものではなく、捜査の進展によって事実が解明され、このことによって被害者が利益を受けるとしても、右利益は前記の警察官の責務遂行に伴う反射的利益にすぎない。

したがって、警察官が故意又は過失によって証拠を毀滅隠匿するが如き特別な事情が認められる場合はともかく、たまたま捜査が進捗せず事実の解明が遅れたにすぎない場合には、このことと被害者の事実解明の遅延による損害との間に相当因果関係を認めることはできない。本件においては右の如き特別の事情の存在を認めるに足りる証拠はないから、原告らの被告北海道に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

第六結論

以上の判断の結果、原告らの被告野澤義正及び同富士火災海上保険株式会社に対する請求は前記第三の五項記載の限度で理由があるから認容し、その余の請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 村重慶一 裁判官 宗宮英俊 栄春彦)

〈以下省略〉

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